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★ホンダを目覚めさせた男 中本修平氏インタビュー

MotoGP2016 ホンダ

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pecinogpにHRCの中本修平氏のロングインタビューがありましたのでご紹介します。2009年にMotoGPの世界に入ってHRCの構造を変えたという話、ブレーキングスタビリティ、コーナリングスピードという2つの課題を解決してきたという話など、中本さんがいかにHRCでMotoGPプロジェクトに注力されてきたのかが伺える内容です。本当にお疲れ様でした。

f:id:teletele916:20161209125902p:plain (Photo courtesy of michelin)

中本修平がMotoGPにやってきたのは2009年だった。その当時は、ホンダにとって80年代半ばに世界選手権に戻ってきて以来最も厳しい時期だった。 中本がホンダにやってくる前の5年間、HRCのチャンピオンシップ優勝は1度のみで、この優勝にしても自力で勝ち取ったものではなく、ライバル達のミスによるものだった。


中本修平がレプソルホンダチームに参加した時、彼はほぼ9年間、ホンダの中で最も重要な投資であるF1プロジェクトの最高責任者を務めていた。彼は会社の中でも最も尊重されているエンジニアの1人であり、世界選手権の中で苦境に立たされている2輪部門を立て直すために送り込まれたのだった。ただ、実際に中本にとっては、彼がHRCという企業でキャリアをスタートさせた場所への帰還であった。


新人エンジニアとして、中本は本田技研工業株式会社に1983年に入社した。

中本修平

「最初の3ヶ月はカーディーラーで働いたんです。その次の3ヶ月は鈴鹿の自動車工場でした。これらの研修期間の後に、ホンダは私がどの部門で働くことになるかを決定したんです。それで私はラッキーな事にHRCで働く事になったんです。」


Q

「その時の年齢は?」

中本修平

「26歳だったと思います。HRCにやってきたのは1983年の10月1日でした。


Q

「それで?」

中本修平

「最初の仕事はエンジン部門でした。ただその1ヶ月後にマネージャーのところに行って、エンジンデザイナーとしての仕事から、シャーシデザイナーに変えてくれないかと頼みました。」


Q

「なぜシャーシエンジニアリングのほうがエンジンよりも良かったんですか?」

中本修平

「エンジンエンジニアリングは興味深いんですが、仕事の幅はクランクケースに制限されているんです。ただシャーシに関してはデザインの可能性はより大きいんですよ。


Q

「上司の答えは?」

中本修平

「ええ。シャーシ部門に移動する事を許可してもらいました。」


Q

「ということは、あなたのエンジニアとしての専門分野はシャーシデザインなんですね。」

中本修平

「ええ。その通りです。」


Q

「HRCで働き初めて、最初に関わったプロジェクトは?」

中本修平

最初の仕事はRS250そしてRS125でした。私はこの2台のバイクのシャーシをデザインしました。その後はNSR250もそうですね。こうした仕事を数年続けました。そしてマネージャーにNSR500のシャーシの仕事がしたいと話したんです。彼はなぜかと尋ねました。私は125と250を手がけた後に自然な流れだからと答えました。そして彼は私にスーパーバイクのプロジェクトを任せてくれたんです。」

Q

「V2エンジンもの、V4エンジンのものどちらですか?」

中本修平

「V4エンジンのRC45です。コシンスキーとアーロン・スライトがライディングしたものです。ただ、2000年にもう1度500ccをやりたいと相談したんです。NSR500はバイクのF1ですからね。スーパーバイクは車で言うならツーリングカーカテゴリーです。」


Q

「その時はどうなったんですか?」

中本修平

「HRCの取締役が来て、F1をやってよい。と言われました。」


Q

「それで二輪事業を離れて、F1にカーレーシングの経験が無いままに移ったんですね。その責任の重さに不安になりませんでした?」

中本修平

恐怖以上でした。今あなたが言ったように車の経験は無かったんですから。ただこれは会社命令でしたから、私にはF1に行くか、ホンダを去るかの2つに1つしかありませんでした。その当時私には2人の小さな息子がいました。ですからホンダを去ることは出来なかったんです。ですからF1に移ったんです(笑)」


Q

「どの程度チャレンジングなものでしたか?」

中本修平

「F1で過ごした時間は楽しかったですね。2000年の5月1日から2008年にホンダがF1プロジェクトを辞める時まで....ほぼ9年でした。F1を見るのはある意味退屈ですが、技術面から言うと実にエキサイティングなんです。予算はモーターサイクルレースとはまるで異なりますし、エンジニアの数もそうです。本当に大きな違いがあります。エンジニア達がカバーするエリアは狭いんですが、本当に深いところまでやるんですよ。」


Q

「彼らが集中している分野に関して、実に専門的であるということですか?」

中本修平

「ええ。モーターサイクルエンジニア達は広いエリアをカバーしています。F1をやる中で、私はエンジン、シャーシ、エアロダイナミクスなど多くの面で学びました。特にエアロダイナミクスに関しては深く学びました。」


Q

「2009年にHRCチームに加わった時のことです。バイクの世界に戻ってきていかがでした?ホンダのナンバーワンのモーターサイクルプロジェクトに関わるにあたって、その責任をどのように感じましたか?」

中本修平

「2009年のセパンテストで、私は自分が見たものに非常に驚きました。」


Q

「どういった物事に関してでしょうか?」

中本修平

「ホンダのスピードは本当に速かったんです。ヤマハをストレートで抜くのは簡単だったんです。でもコーナーでは、ヤマハはブレーキングしながら簡単にホンダを抜き返していくんです。あれは受け入れられないものでしたね。」


Q

「ショックだったと?」

中本修平

「ええ。ホンダのバイクは非常に速かったんですが、ブレーキングに関してはヤマハがもっと強かったんです。はじめは何か間違ったことをしてるんじゃないかと思いましたよ。ですから異なるセットアップを試しました。ブレーキングの効率性を高めることが出来ましたが、それでもヤマハは自分達よりも効率的な走りをしていました。」


Q

「あなたの話を聞いていて、あなたがGPプロジェクトをコントロールしていた時がわかりました。あなたはマネージャーとしてだけではなく、エンジニアとしてもプロジェクトをコントロールしていたわけですね?」

中本修平

「ええ。その当時は既にHRCの副社長でした。会社全体をコントロールする必要がありました。HRCの社長というのは象徴であって、会社を動かしているのは副社長なんですよ。マネジメント、資金繰り、法的なことなど多くを学ぶ必要がありました。ただそれでも、私の興味は技術エリアにあったんです。そして技術的効率性を向上させることを考え、HRCの構造を変えたんです。


Q

「面白いですね。どのようにしたのか教えてもらえますか?」

中本修平

シャーシエリア、エンジンエリア、シャーシテストグループ、エンジンテストグループ、将来的な技術に集中する部門を作りました。この部門は完全に既存のプロジェクトとから独立して動くものです。このグループは未来を考える部門なんです。」


Q

「どれくらい先の将来なんでしょうか?」

中本修平

「そのいくつかは半年先、いくつかは3年先、10年先の事を考えているものもあります。」


Q

「既存の技術をベースにしていくのか、ゼロから開発していくんでしょうか?」

中本修平

「既存の技術を使います。私がしているのは彼らに明確な道筋を与えることなんです。例えば、2009年には”なんとしてもブレーキングの安定性を上げてくれ”と指示しました。我々がブレーキングスタビリティを向上したら、ヤマハやDucatiはストレートの後のブレーキングで我々を抜き返せませんからね。我々のコーナリングスピードはヤマハほど速くありませんでしたが、コーナーでヤマハよりも前にいられれば、彼らにとってもオーバーテイクは簡単ではなくなります。」


Q

「論理的でシンプルですね。」

中本修平

「その当時はストレートスピードが強力な武器で、コーナリングスピードが弱点でした。時に弱点を克服しようと集中していると、強みを忘れてしまうことがあるんです。その当時はコーナリングスピードを速くするための、十分な知識もしくは技術が我々にはありませんでした。ただ、ストレートスピードを速く出来るというのはわかっていたんです。ですから長所を限界まで突き詰めてみようと思ったんです。ストレートで抜いてコーナーで前にいて、その後にトップスピードを再び使うことを考えていました。それが出来れば、コーナリングスピードが速いマシンのライダーは諦めるだろうと確信していました。」


Q

「それで2009年以降は何があったんでしょうか?」

中本修平

「開発グループは素晴らしい仕事をしました。2010年から開発グループのアイディアを使って、ブレーキングスタビリティの向上に集中しました。数種類のシャーシを試しました。2010年のカタールでペドロサのバイクがストレートからのブレーキングでウォブルしていました。ダニはこれを本当に嫌がっていましたが、ドヴィツィオーゾはコーナリングスピードが高いということで、これを気に入っていました。このバイクのコンセプトはブレーキングスタビリティを向上させることだったんです。」


Q

「2010年のバイクはあなたの哲学を使用した初めてのマシンと言えます。バイクの出来に満足でしたか?」

中本修平

もちろんハッピーではありませんでした。我々が決めた目標に向かって動き初めた状態でしたから。」


Q

「あなたが求めていたバイクを作り上げた時、それを乗りこなせるライダーを求めていた。彼の名はケーシー・ストーナーだった。合っていますか?」

中本修平

「ええ。ただドヴィもこのコンセプトにはハッピーでした。実際、未だに同じコンセプトを使用しているんです。エンジンパワーなんかよりも、ブレーキングスタビリティのほうが我々にとって重要なんですよ。


Q

「ホンダのエンジニアから聞く言葉としては妙に思えますね。あなたがシャーシエンジニアなんだというのがよくわかります。2011年はあなたにとってミッションを達成したと言える年だったのでしょうか?あなたは自分が思い描いた通りに動くバイクを作り、カテゴリーの中でも最速のライダーを手にし、そしてタイトルを獲得しました。」

中本修平

「ええ。2011年は私の仕事の第一段階が完了した年です。


Q

「それが第一段階だとすると、2番目は何なんでしょうか?」

中本修平

「私の仕事の2つ目はコーナリングスピードを向上させることでした。我々の弱点です。いろいろな事を試し、今ではヤマハよりもコーナリングが速いですから満足しています。全てのサーキットでデータを確認出来ますよ。特にタイトコーナーでね。私達のマシンのほうが常に速いんです。一周全体で見るとタイムは接近していますが、マルクのほうが数10分の1秒速いんです。そしてこれは我々のバイクのコーナリングエリアでの効率性によるものです。」


Q

「素晴らしいですね!ということは、まずはブレーキングスタビリティの問題を解消し、次にコーナリングスピードにおいての競争力を大幅に上げたわけですね。今負けているのはどの部分でしょうか?」

中本修平

「負けてなどいませんよ(笑)」


Q

「言い換えましょう。どの部分でヤマハのほうが強いのでしょうか?」

中本修平

「バランスです。全体のバランスがヤマハはとても素晴らしいです。全体のバランスというのは、コーナリング、加速などなどです。」


Q

「ストーナーの後のホンダのビッグネームはマルク・マルケスです。2013年のことですが、彼がHRCのボックスに来た時、彼がこれから成し遂げること、そして彼が示す才能を予想していましたか?」

中本修平

「マルクが2012年のバレンシアで我々のバイクを初めて試した時驚きました。簡単なコンディションではなかったんです。確か普通のコンディションは30分ほどしか無かったと思います。ただ、彼のトップスピードとブレーキングでのパフォーマンスは驚異的でしたよ!本当に、本当に驚きました。その時のフィーリングは”自分の選択は間違ってなかった”というものでした。」


Q

「その後はマルクにとっては楽なものだったのでしょうか?」

中本修平

「いいえ。簡単ではありませんでした。普通ライダー達は、MotoGPマシンをどう使うかを理解する必要があるんです。才能あるライダーは皆、1周の素晴らしいタイムを出すことが出来ますが、レース終盤でコンスタントなタイムを出すには経験が必要なんです。マルクは終盤に良いタイムを出すのが難しいと話していました。2013年の序盤はマルクはラッキーでした。オースティンにしてもハードのリアタイヤを履いていた唯一のライダーでしたからね。そのお陰で勝利出来たんです。序盤のレースでは彼はほとんど表彰台を獲得しました。前半で彼はポイント上で大きなリードを築き、後半はそのアドバンテージをコントロールすることが出来ました。シルバーストーンで、”ようやくタイヤをマネージする方法がわかりました。”と彼が私に言ったんです。」


Q

「マルクは非常に速く学習したわけですね。」

中本修平

「ええ。普通のライダーは1年、1シーズン学習にかかるんです。ただ、マルクはシーズン半分でした。ただ同時に、彼は本当にラッキーでした。というのもホルへも強く、ダニも強かったですが、二人共怪我をしていましたからね。彼らは数戦を欠場して、それでマルクが差を開きました。」


Q

「2014年は記録の年でした。」

中本修平

「あれは、マルケスがMotoGPバイクの操り方を理解した事と、彼のライディングスタイルの組み合わせによるものでしょうね。」


Q

「あなたがHRCのトップであった時代の中で、最も素晴らしい2人のライダー、ケーシー・ストーナーとマルク・マルケスを比較して欲しいのですが。」

中本修平

「それは出来ません。パーソナリティが完全に異なりますから。いずれのライダーも、トラック上で素晴らしいものを持っています。」


Q

「どのように?」

中本修平

マルケスはブレーキングにおいて特別ですが、ケーシーは高いコーナリングスピードを持っていました。ケーシーは加速も凄かったですね。彼は正しい角度か、正しいパワーデリバリーコントロールか何かを見つけたんでしょう。データを見れば、彼がタイヤのグリップを完全にコントロール下に置いていたのがわかります。グリップが無くなるところで、トラクションコントロールが機能してパワーをカットするんです。彼の加速におけるスロットルコントロールは凄かったですよ。常に限界でした。」


Q

「マルクはどうでしょう?」

中本修平

「マルクも同様です。ただ明らかに、彼はより多くトラクションコントロールの助けを借りています。ケイシーがどうやっていたのか全くわかりません。


Q

「彼がなぜ辞めたかわかりますか?」

中本修平

「いいえ。ケーシーは本当に理解するのが難しいライダーなんです。ただ、彼の決断は尊重しています。」


Q

「技術の話に戻りますが、2009年のバイクと今のバイクとでの違いは大きいんでしょうか?MotoGPは保守的なカテゴリーなのか、進化を続けているんでしょうか?」

中本修平

「我々の技術は他のメーカーとは異なります。ホンダにとってはシャーシ、スイングアームを変更するのは普通のことです。何かしら良く働くものを見つけたら、単純に交換するんです。ですから、このバイクが何年モデルだとかいうのは難しいんです。例えば昔のシャーシを今のバイクに使用しているライダーもいますからね。」


Q

「エンジンに関しては?」

中本修平

「エンジンもコンセプトは同じです。トップパワーも重要ですが、エンジンのドライバビリティーはもっと重要です。このコンセプトは同じです。シャーシサイドではブレーキングスタビリティが最も重要で、次が高いコーナリングスピードを維持することです。」


Q

「2009年から同じコンセプトなんですか?あなたのようなレーシングエンジニアにとっては退屈ではありませんか?」

中本修平

「時には違った事を見つけて、試してみるんです。」


Q

「2016年のバイクに関してはどうでしょう?統一ソフトウェアのせいで、後退したんでしょうか?」

中本修平

「シーズン前半に関してはそうです。何度か説明したことがありますが、このソフトウェアを適切に使用する方法がわからなかったんです。現在は理解しています。90%ほどでしょうか。現在の違いとしては、もしHRCのソフトウェアを使用出来れば、トラックサイドエンジニアリングはもっと簡単になります。」


Q

「2009年から2016年は、長くチャレンジングな時でした。それらの年月の中で、ベストなバイクはどれでしょう?」

中本修平

「来年のモデルです!次のバイクが最高のバイクです。」


Q

「8年間ホンダのMotoGPに関わった後に、来年あなたはリタイアします。もし選ばなければならないとしたら、どれを選びますか?」

中本修平

もしどれか1台を選ぶなら2010年モデルでしょう。この年に自分達の状況を変えて、チャンピオンシップへの準備を整えました。そして2011年に実現しました。」


あなたがこの記事を読んでいる時、すでに中本修平はホンダのMotoGP責任者ではない。彼のリタイアは4月であるため、2017年のプレシーズンを彼が共に迎える意味はないという事になっている。ただ彼のHRCでの歴史を閉じる前に、中本にはやり残したことがある。それはダカールだ。WMXで2016年に勝利して以来、中本はダカールが完璧な別れを告げるために必要なものだということを隠そうとしない。


Q

「次はなんでしょう?ダカールでの優勝ですか?」

中本修平

「マシンの信頼性の部分に関して集中しています。我々のバイクは2年前から十分な戦闘力がありました。ただ信頼性に関してはKTMのほうが優れています。」


Q

「適切なライダーが揃っていると思いますか?最速のライダーがいることはわかっています。しかし、彼のコンスタントさは問題です。かなり深刻な問題だと思います。ホアン・バレダは今回勝てると思いますか?」

中本修平

「そうであって欲しいですね。私じゃなくバレダに聞いてください(笑)彼はスペイン人ですから、彼には質問もしやすいでしょう。」


Q

「ということは、もし優勝出来なければ、あなたにとっても成し遂げられなかった唯一の仕事になるわけですね。」

中本修平

「ダカールで勝つにはコンビネーションが必要です。とても強いライダー、素晴らしいマシン、そして素晴らしい組織が必要です。」


Q

「運はどうでしょう?運はレースの中の要素では?」

中本修平

「運?だいたい運はライダーによりますからね。」


Q

「という事は、幸運も不運もライダーによって作られると?」

中本修平

「ええ。私はそう考えています。」 f:id:teletele916:20161209130019p:plain (Photo courtesy of michelin)


インタビューの終わりに他の何よりも、中本修平はエンジニアにとって共通の、「観察し分析するということ」についての慣習を教えてくれた。
1)問題について:集中しなければならず、可能な限り単純な説明をし、解決の方法を見つけなければならない。
2)レースに運は存在しない。何か上手くいかないことがあれば、誰かが仕事をきちんと行っていないから。


長い会話をしながら、がらんとしたMotoGPパドックの中で私達を夜を過ごした。中本修平は今まで誰にも話したことも無い事を語ってくれた。このインタビューを読んで、中本はいかに彼がF1で舵取りをしていたのか、2010年シーズン、そしてケーシー・ストーナーと共に仕事をしたのが、レーシングエンジニアとして最も満足出来る瞬間であった事を発見した。


ほとんどの日本人エグゼクティブと異なり、中本はゴルフは好きではない。であるから、彼は世界中のゴルフコースを巡るというような引退生活はしない。彼は登山帽を被り、カナダから来た木こりのように薪を割りながら山の中でひっそり過ごすほうを好む。


レースの世界に感傷的である余裕は無い。しかし、中本修平は間違いなくMotoGPに足跡を残した。それに、私は早くではなくとも、遅かれ早かれ彼が復帰すると確信している。

pecinogp.com