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★MotoGP「ゼロから表彰台のトップへ立ったスズキ」第一弾

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Manuel Pecinoさんがスズキのダヴィデ・ブリビオにねっとりと行ったインタビュー「ゼロから表彰台のトップへ立ったスズキ」の第一弾をご紹介します。Magneti MarelliのECUの導入というルール変更により、「当初は2014年から参戦予定だったものを2015年からの参戦に変更した」など、舞台裏の詳細情報が満載の素晴らしいインタビューとなっています。 f:id:teletele916:20170117203417j:plain (Photo courtesy of michelin)

2016年シーズンはスズキにとって分岐点となった。12ヶ月前に始まったMotoGPプログラムを統合する年であったにも関わらず、スズキはチャンピオンシップにおいて優勝争いが出来るメーカーとなり、マーヴェリック・ビニャーレスがイギリスGPで優勝を遂げた。ダヴィデ・ブリビオというこのプロジェクトの魂である人物とともに、スズキがコンピューター上からMotoGPの表彰台トップにまで辿り付いたプロセスを見ていこう。

チームスズキがMotoGPに正式に参加したのは2015年初頭。GSX-RRプロジェクトはさらに前から進められていた。

ダヴィデ・ブリビオ

「私がスズキの世界選手権プロジェクトに参加したのは2013年の4月1日でしたが、2012年の段階からある程度の接触はありました。スズキは世界選手権から2011年の終わりに撤退しましたが、その時には既に2012年のためのバイクが完成していました。このバイクを私は見たことはありません。ただそれはV4エンジンだったと思います。2012年の参戦のためのバイクは完成していたが、スズキは参戦しないという決定を下したんです。」


Q

「参戦を継続しないとなった理由は何なのでしょうか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「この決定に関する正式な理由は知りません。ただ興味深いのは、2011年時点のMotoGP撤退に関する公式発表の中で、いずれこの舞台に戻ってくるということを延べていたことなんです。2012年は青木宣篤が日本でプロトタイプのテストを行っていましたが、彼らは同時に新しいプロジェクトを始めてもいました。それが現在のバイクに繋がるわけです。」

f:id:teletele916:20170117203415j:plain (Photo courtesy of michelin)


Q

白紙の状態から始めたんですか?

ダヴィデ・ブリビオ

「ええそうです。エンジンにしてもそうです。V4から直列4気筒に変更し、シャーシも完全に新型になっています。」


Q

「かなり大掛かりな変更ですね。」

ダヴィデ・ブリビオ

「ええ。ですから最初ランディと2013年5月にもてぎで走った際、スズキは旧型の800ccエンジンのマシンと新しいMotoGPバイクをテストしたんです。2011年11月にランディはバレンシアGPの後の月曜日にその当時のバイクを試しているんですが、スズキのエンジニア達はその時点からスタートしようと思ったようです。私も旧型の800ccマシンと新型の1000ccマシンがボックスの中で横に並んでいるのを覚えています。そして旧型の800ccマシンが新型と比べるといかに大きいかに驚いたものです。1000ccマシンはずっとコンパクトでした。完全に異なるプロジェクトで、全てが異なるのだというのが明確でした。」

f:id:teletele916:20170117203414j:plain (Photo courtesy of michelin)


Q

「テストでは何を比較対象にしていたんでしょうか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「何もありませんでしたね。というのも新型では1周か2周しかしませんでしたからね。ランディは自信を取り戻す必要があったので、それから新しいバイクでテストを行ったんです。」



2012年という時間が必要だった

スズキは2012年を使ってテストを行い、ブリビオがこのバイクを初めて見たのは2013年4月だった。ブリビオは「あの時点で選手権から撤退したのは良かったですね。選手権に参加しながら野心的に新しいプロジェクトを進めるのは難しかったでしょう。」と語る。1年というのはこうした革命的なプロジェクトには非常に短い年月に思える。少なくともデザインを決定し、作りあげるには足りないと思える。


ダヴィデ・ブリビオ

「それが可能で、4月までにバイクは出来ていました。青木、津田の両名でシェイクダウンを行い、2013年5月にもてぎでランディとテストを行いました。その時点で2014年までのロードマップを描いたんです。7ヶ月か8ヶ月しかなく、確かに長いとは言える時間はありませんでした。」


Q

「どのようなフェーズで進んだのでしょうか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「開発は悪くない形で進みました。実際、ある時点でバルセロナに行こうと思いました。これは計画になかったことでしたが、実行しました。これは我々にとって初めての欧州への旅でした。GPの後の月曜日にテストを行い、ランディはロレンソから0.7秒遅れのタイムでした。素晴らしい結果でしたから、良い気分でバルセロナを後にしたことを覚えています。しかしルールの変更によってMagneti MarelliのECUを使用することとなり、これでまたゼロからの作業となってしまいました。その当時はまだ三菱製のエレクトロニクスを使用していたんです。ですからソフトウェアを全てやり直す必要がありました。ですからMagneti Marelliのソフトウェアに対応するため、日本でMotoGPに復帰するのを1年延期することにしたんです。この参戦延期はソフトウェアによるもので、バイクに何かしら問題があったからではないんです。


Q

「あなたはそうしたエンジニアの意見の賛成したのか、すぐにでも戦いに出たかったのでしょうか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「正直行って少し残念でした。皆にとってそうでした。皆戦いに出たいと思っていましたから。しかしバイクを準備する時間がないことは明らかで、1年さらに使うことにしたのです。」

f:id:teletele916:20170117203416j:plain (Photo courtesy of michelin)


Q

「後から考えて良い判断だったと思いますか?」

ダヴィデ・ブリビオ

今考えると、良い決断だったと思います。第一に、1年間エレクトロニクスの作業が出来たことが重要でした。第二に、全く別のライダーマーケットにアクセスすることが可能になったんです。計画どおりにMotoGPに復帰していたら、マーヴェリックとは契約出来なかったでしょう。2014年にMotoGPに復帰していたら、複雑なことになっていたでしょう。その当時はそうは思っていませんでしたが、今考えるとその理由が良くわかります。」


Q

「それはわかりますが、競技せずに2年間テストというのは、参戦するはずだったチームにとってどのようなものだったのでしょう?奇妙なものだったと思いますが。」

ダヴィデ・ブリビオ

「ええ、皆にとって長い時間でした。それに2年目は自分達が思っていた以上にその時間をいかせなかったんです。テストをする度に雨に祟られてしまったんです。例えばアルゼンチンでは一度もドライコンディションでテストが出来ず、オースティンではレースが行われた日曜は素晴らしい快晴だったんですが、次の日には寒く、トラックが非常に汚れていました。9月になってムジェロでテストを行いましたが、エンジンの耐久性に問題が出てしまいまいた。そして最終的にはエンジンが壊れてしまったんです。ランディも大きな転倒をしてしまい、彼自身回復に時間がかかってしまいました。ですから序盤には雨、最終的には技術的な問題が発生しました。良い形で作業を進める事が出来なかった1年でした。」



難しいデビューレースとなった2014年

f:id:teletele916:20170117203413j:plain (Photo courtesy of michelin)


Q

「2014年の終わりには、これから先の道のりが綺麗に見渡せたのでしょうか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「2014年の終わりにはライダーには満足していました。7月8月にアレイシとマーヴェリックを獲得出来ましたからね。技術的な観点では、2014年の最終戦バレンシアにワイルドカードで参戦した時、エンジンに大きな問題が発生しました。決勝レースでエンジンが故障してしまい、正直なところ本当に不安になったんです。」


Q

「その問題とはなんだったのでしょうか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「日本のエンジニア達が知っています。ワイルドカードの時点では我々は3台のエンジンが使用出来ました。土曜の夜には既に2台のエンジンが壊れており、日曜に向けて1台しかエンジンがない状況で、セカンドバイクに4台目のエンジンが搭載してありました。このエンジンを使用するとなるとピットレーンスタートが課されてしまう状態でした。ですから本当に大変な週末だったんです。でも日本で冬にテストした時には、エンジンは本当に調子が良かったんです。2015年のセパンのプレシーズンテストにやってきた時は状況は少し良くなっていました。」


Q

「信頼性のためにパワーを犠牲にする必要はあったのでしょうか?エンジンに関して少し設計を見直す必要などは?」

ダヴィデ・ブリビオ

「問題はエレクトロニクスマネジメントにあるようでした。ですから、それに関して作業を行い、エンジンに関しては手を付けていません。パワーに関しては2015年の始めは確かに良いパフォーマンスではありませんでした。それは信頼性を確保するために犠牲にした部分があったんです。バイク自体は素晴らしく、シャーシも最初から素晴らしいものでした。しかしスピード面では課題がありました。」

f:id:teletele916:20160904112326j:plain (Photo courtesy of michelin)


Q

「GSX-RRの特徴はそのコンパクトさにあると思います。実際のところアレイシには小さすぎましたね。」

ダヴィデ・ブリビオ

「ええ。でもアレイシも最初からバイクを気に入ってくれました。彼はチームフォワードのヤマハからやってきました。これは前年のシャーシを使用したバイクです。しかしヤマハのシャーシは常にヤマハなんです。彼はテストを開始するなり、シャーシに関してはヤマハよりも良いと言ってくれました。我々も自分達のバイクが良いバイクなんだと気づいたんです。初年度に不足していたのはエンジンパワーでした。エンジニア達は懸命に作業を行い、乗りやすくするために更にトルクを発生するようにしました。しかしパワーに関しては圧倒的に不足していたんです。2016年までにはトルクとパワーデリバリーを犠牲にせず最大馬力を向上させる事が出来ました。そういった観点ではシームレスの導入は大きな助けになりました。」



日本に関して

f:id:teletele916:20170117203412j:plain (Photo courtesy of michelin)


Q

「日本のMotoGP技術者に関しては若いエンジニアなのか、それともスズキのレースをかつて率いたような人達なのでしょうか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「これはまちまちです。プロジェクトリーダーは250ccでの経験があります。河内 健は我々のテクニカルマネージャーですが、彼はチームリズラ時代の経験があります。経験ある人達がおり、彼らのノウハウは素晴らしいものがあります。エンジニア達は皆素晴らしく多くの知識と技術的な経験があります。彼らと仕事をする上では何が必要で何が欲しいのかを正確に伝える必要があります。エンジンに関してあと10馬力欲しいと伝えれば、それに関して作業を進めてくれます。もう少し革新的なエンジンが欲しいと言えば、それに向かって作業してくれるでしょう。2015年に足りなかったのは目的に対しての結果で、エンジニア達が速いエンジンを作る事が出来なかったというわけではないんです。ライディングが楽になるように作業を進め、パワーに関してはそこまで注意を払っていなかったんです。ライバルと比較してみた時に、それでは十分でないことがわかったんです。」


Q

「”我々”と言いましたが、日本のエンジニア達とコミュニケーションを取っていたのは、どういった人達なのでしょう?」

ダヴィデ・ブリビオ

「プロジェクトリーダーですね。ライダー達の意見を聞いた後データを分析し。。私は違うブランドで仕事をした経験がありますが、各レース部門ごとにエンジニア達に関しては異なる意見を持っているんです。2人3人のエンジニア達と話をすれば、3つの異なる意見が聞けるでしょう。ですからプロジェクトリーダーが、エンジニア達が語った内容を分析しその中から方向性を1つ選ぶ必要があるんです。」


Q

「この2年間のMotoGPプロジェクトの軌道は想定どおりですか?予想よりも早い、遅いといった事はありましたでしょうか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「正直なところ、1年目はゴールに到達出来ませんでした。日本でビッグボス(※修会長でしょうか。。)と話をした時、1年目をトップ7で終えるようにと言われたんですが、それが出来ませんでした。我々は10位と11位だったんです。ですからゴールを達成出来なかったんです。1年目から速いエンジンがあればそれが出来たと思います。」


Q

「日本ではこの結果にがっかりしていませんでしたか?」

ダヴィデ・ブリビオ

「実際のところそうでもありませんでした。目標を達成することは出来なかったかもしれませんが、2015年はいずれにしても良いシーズンでした。何よりもバルセロナのテストでは1位と2位でしたから。アレイシはアルゼンチンとアッセンで1列目スタートでしたし、幾つかのレースではレース前半にトップ集団の中で走る事が出来ました。私の意見ではこれはパワー不足によるものです。ライバルたちは自分達のバイクをストレートで最初の数週で抜いており、それで苦戦したんです。」

f:id:teletele916:20170117203410j:plain (Photo courtesy of michelin)


Q

「2015年の目標に到達出来なかったというのは、テクニシャン達がライダーのニーズを分析し理解するのを失敗したように聞こえますが。」

ダヴィデ・ブリビオ

誰のせいであったかについては分析していません。誰かを名指しで批判することではないんです。加えて2015年は2戦、3戦と戦ううちにマーヴェリックが持つもの凄い才能に気づいたんです。翌年のシーズン開幕時点でそれがさらにわかり、彼との契約が満期を迎える2016年以降にもスズキに残ってもらえるよう、ありとあらゆる事をしました。ビニャーレスにチームに残ってもらうよう説得するため、あらゆるリソースを集中させてバイクとエンジンを良くしようとしました。これが我々を導いた2015年のミッションとも言えますね。」


「ゼロから表彰台のトップへ立ったスズキ」の第二弾もすぐにお届けするので、お楽しみに。

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