★MotoGP2016 Ducatiの世界選手権の歩み
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DucatiのMotoGPクラス参戦の歴史と、そのバイクの変遷についてまとめた記事がありましたのでご紹介。こうして見ると、昔はずんぐりむっくりしていた車体が、ダッリーニャさんの加入と同時に2014年で大きく姿を変えたのが明らかですね。ドヴィヅィオーソ選手も2014年型車両をテストした時に、アンダーステアが解消されたと喜んでいましたもんね。今年こそは2010年以来初の優勝を成し遂げられるでしょうか?シーズン開幕まであと僅かです。
4ストロークの時代の幕開けであった2002年は、DucatiにとってもMotoGPという世界戦に再び参加する機会となりその王国を築く流れとなった。2002年のイタリアGPにおいて、Ducatiは彼らのWSBKでの成功を反映したMotoGPプロトタイプを発表した。
2003年
トロイ・ベイリスはWSBKでDucatiに大きな成功をもたらした。ロリス・カピロッシもこの時点では大きな期待をされており、DucatiのGP3において最初のファクトリーライダーとなった。GP3はDucatiの象徴である90度V4エンジンを搭載し、(※原文がVツインとなっていたのでVツインと訳しておりましたが、ご指摘いただきV4に変更しました。)デスモドローミック機構を採用していた。この世界選手権での初走行となる日本GPで3位を獲得するなど、Ducatiに成功はすぐさま訪れた。この年のカタルーニャGPでカピロッシはDucatiで初優勝を遂げる。カピロッシとベイリスの組合わせでDucatiは2度のポールポジション獲得、9つの表彰台、両機ともにトップ6に入るパフォーマンスを発揮しながら、初年度での優勝も遂げた。
2004年
ベイリスとカピロッシはファクトリーチームに残り、GP4を操縦する。GP4はさらに難しいバイクとなっており、年間を通じて2度の表彰台しか獲得する事が出来なかった。カピロッシはシーズンを9位、ベイリスは8回のDNF(※リタイヤ等)により14位に終わった。
2005年
カルロス・チェカがトロイ・ベイリスに変わり参戦。タイヤをブリヂストンに変更する。Ducatiとブリヂストンは緊密に連携して作業を行いマシンとタイヤを仕上げていく。カピロッシは3度のポールポジションを獲得、2度の優勝、さらに2度の表彰台獲得で総合6位となった。
2006年
GP6はエアロダイナミクスを向上しエンジンを改良した。これによりカピロッシはシーズン開始よりチャンピオンシップをリード。しかしカタルーニャで新たに契約したセテ・ジベルナウとカピロッシが1コーナーで接触した事でシーズンが狂いだす。2人は怪我の為に次戦を欠場。シーズンのハイライトは怪我のジベルナウに変わってヴァレンシアで代役を勤めたトロイ・ベイリスがカピロッシを抜いて優勝したことに尽きる。カピロッシはシーズンを3位で終える。
2007年
2007年にケイシー・ストーナーがDucatiに加入。カピロッシと共にGP7を操縦する。このバイクは排気量が800ccに改められていた。Ducatiコルサのフィリッポ・プレズィオーシはこのバイクの開発に深く関わった人物だ。カタールでのDucatiとストーナーの組み合わせはまさ無敵だった。ストーナーの他のライダーと異なるスタイル、Ducatiの圧倒的なトップスピードは多くの勝利を生み出した。ストーナーは2007年に10勝、表彰台を逃したのは4回のみとなり、Ducatiにとって唯一のMotoGPでの優勝をもたらした。
2008年
カピロッシがDucatiを離れマルコ・メランドリが代役となるものの、彼はシーズンを通して苦しみ、トップ5で完走したのは1度のみであった。残念ながらストーナーは6勝に留まり、Ducatiに2年連続のシーズン優勝をもたらす事は出来なかった。
2009年
GP9はカーボンファイバーのシャーシを持ち、Ducatiは今までのスチール製トラスフレームと決別する。設計上はカーボンファイバーのシャーシはカーボンの折り目をコントロール出来ることから、柔軟性と剛性を必要なだけコントロール出来るはずであった。ニッキー・ヘイデンはこの年にDucatiに加わる。ストーナーは4勝、さらに4度の表彰台を獲得。しかし病気により3戦を欠場したためにタイトル争いから脱落することになった。
2010年
この年もストーナーとヘイデンという組合わせでの参戦となった。GP10はエアロダイナミクスを向上、レギュレーションによってエンジン数に制限がかかったことから、信頼性が増したエンジンを搭載した。ストーナーはDucatiで勝利した唯一のライダーとなり、このバイクはストーナーでしか乗りこなせないという評価を得ることとなった。
2011年
2011年はヴァレンティーノ・ロッシとニッキー・ヘイデンがチームを組んで参戦。Ducatiはカーボンファイバーフレームのバイクを作り続ける。2人のライダーはそれぞれ1度づつの表彰台の獲得、チャンピオンシップ5位以内に入る事も出来ず、Ducatiにとって厳しいシーズンとなった。このシーズンはライダーからの要求によってGP11が次々と改良を受けた年でもあった。
2012年
2012年にはさらなるルールの変更が行われ、エンジンの排気量は1000ccとなった。Ducatiはこの年にアルミニウム製ツインスパーフレームを採用する。ヴァレンティーノ・ロッシは自身最高の2位をミサノとル・マンで獲得するが、総合では5位以下に留まった。
2013年
2013年にはアンドレア・ドヴィヅィオーソがニッキー・ヘイデンと組んで出場。両ライダーともに表彰台を獲得することは出来ず、それぞれ総合で8位、9位となった。これはDucatiにとっては世界選手権における暗黒時代でもあり、この時点で名を馳せていた名エンジニアであるルイージ・ダッリーニャが新しいゼネラルマネージャーとして招聘された。
2014年
GP14とGP14.2はダッリーニャによって生み出された最初のバイクであった。アンドレア・ドヴィヅィオーソと2回の表彰台を含む安定した結果を出し、日本GPでのポールポジション獲得、5位以内に何度も入賞、Ducatiが正しい方向へ向かっていることを証明した。カル・クラッチローにとっては多くの怪我とバイクの故障に悩まされたシーズンでもあり、クラッチローは1度の表彰台獲得に終わった。
2015年
MotoGPの歴史で初めてDucatiファクトリーチームはアンドレア・イアンノーネの加入によってオールイタリアのチームとなった。2人はダッリーニャによって改良されたGP15を操縦し、このバイクは90度エンジン、デスモドローミック機構を採用するバイクだった。開幕から3戦連続で2位を獲得するなど、ドヴィヅィオーソは素晴らしい走りを見せる。イアンノーネもまた、フィリップアイランドでの素晴らしい走りで、Ducatiが勝利出来るポテンシャルがあることを証明。2015年は2010年以来Ducatiがウイングレットを使用したシーズンでもあった。
2016年
Ducatiは2010年以来初めての勝利を模索しているが、この流れを考えると彼らが優勝する日も近いだろう。