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★ジャコモ・アゴスチーニ「最も手強かったライバルはマイク・ヘイルウッド」

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連休中につき、更新スビードが鈍っておりますが、サイクルワールドにあったジャコモ・アゴスチーニのインタビューをお届けします。

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史上最も偉大なバイクレーサーは誰だろうか? ジャコモ・アゴスチーニ、ヴァレンティーノ・ロッシ、マイク・ヘイルウッド、アンヘル・ニエト、ホルヘ・ロレンゾ、ミック・ドゥーハン?

それぞれの時代にヒーローがいた。ただ、誰もがジャコモ・アゴスチーニの活躍に関しては広く認めるところだろう。15回のワールドタイトル、122勝を誇り、1960年台の後半から1970年台前半の活躍から歴代最高のライダーと誰もが認めるライダーだ。

 
ロッシは9回のワールドタイトル、112勝の記録を持つ。ニエトは12+1回のワールドタイトル、90勝を誇る。一方ヘイルウッドは9回のワールドタイトル、76勝を誇る。
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サイクルワールド

「毎週日曜日にトラックに行くというのはどのようにして慣れたんでしょうか。」

ジャコモ・アゴスチーニ

レーストラックはかつては非常に危険な場所だった。でもそういう条件のもとでレースをするか、その場を去るかしかないんだよ。革ツナギ、ヘルメット、トラック自体全てが違っていた。現在のようなエアバッグ(※多分ツナギのエアバッグの事だと思います。)なんてものはなかったから、転倒自体出来なかったんだよ。
 
「自分はレース前に皆の前からよく姿を消していたんだ。皆は集中の為と思っていたようだったけど、確かにそれもあるんだけど死ぬのが怖かったんだよ!昔の事を覚えている人はショーのハイライト、観客が求めているものは血だったと言うけど、それは正しくない。観客が求めていたのは限界レベルでのライディングなんだ。息を飲むようなオーバーテイク、激しいバトル、もしかしたら転倒も含まれていたかもしれない。私の時代は色々な出来事が重なったのもあるんだろうけど、悲劇が多くてね。その次のレースなどは観客が減ってしまうこともあった。ただ、暫くすると皆は悲劇を忘れてトラックに帰って来たものだね。」
 

サイクルワールド

「丁度今から50年前にニュルブルクリンクで初勝利を遂げましたね。それからどのようにロードレースは変わったんでしょうか?」

ジャコモ・アゴスチーニ

「自分はロードレースの進歩にずっと立ち会ってきた。黒のツナギに半帽のヘルメットの時代から、カラフルなツナギ、ワイドなタイヤの変化などね。その後もずっとレースの変化に立ち会い、電子制御が導入される手前でレースを辞めたんだ。バイク自体の変化だけでなく、テクノロジーやライディングスタイルも変わったね。安全性に関しては大きな進歩を遂げたね。1974年にデイトナでレースをした時は、ガードレールまであと数センチという距離で270km/hでコーナリングをするという事に夢中になっていたものだよ。」
 

サイクルワールド

500ccの2ストロークバイクは、現在のMotoGPバイクよりもライディングが難しいものでしょうか?
 

ジャコモ・アゴスチーニ

そうは思わないね。現代ではある程度のレベルまで教えるという事に関しては簡単になっていると思う。ただ、レースで勝利するという事に関しては昔と変わらずに難しいものだよ。」
 
現代では電子制御が、昔のライダー達が自らの繊細さや才能でコントロールしていたスロットル操作に関する仕事をする上で大きな助けになっている。でも世の中は変わっていくものだからね。今のライダー達は電子制御とともに育ってきているわけだから、手首が重要なんて事を言っても理解できないだろう。

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サイクルワールド

「2ストロークと言えば、MVアグスタの4気筒で成功を収めた後、ヤマハと契約を交わしたのは、大きな決断でしたよね。」

ジャコモ・アゴスチーニ

「簡単なことではなかった。自分の第二の家族と日本の企業と働くために別れたんだからね。ただ、2気筒に未来を感じていたので、そうせざるを得なかったんだ。ただ日本に渡って2週間後、ヤマハという新しい家族を発見する事が出来たんだと気づいたんだ。彼らがどのようにして働き、どのようにして2気筒にバイクに乗るべきかを学び、そしてデイトナで初めての勝利を収めたんだよ。」
 

サイクルワールド

「デイトナ200のデビューでは、キングケニーへ挑戦したわけですが、どのように歓迎されましたか?」

ジャコモ・アゴスチーニ

「あれは妙だったね。ゼネラルモーターズが自分のワールドタイトルの数であるナンバー13の白のコルベットをプレゼントしてくれてね。ケニーはメディアに自分がかつてワールドチャンピオンだったと語り、自分はそれに対しては何も答えなかったんだけど、日曜日は私が勝利したんだ。互いにライバル関係であったけど、そこには尊敬があったね。その年、デイトナ200はものすごい数の観客を動員して、イタリア、ドイツ、フランスからも飛行機が来たんだ。」
 

サイクルワールド

「ケニー・ロバーツは彼のライディングスタイルをどのようにして変えたんですか?」

ジャコモ・アゴスチーニ

「ケニーはアメリカでワイドなタイヤを履いて、とても素晴らしいライディングスタイルで走っていた。彼の走行ラインはそれまでのアメリカのレーサーよりもワイドで、かつリーンアングルも深かった。これは現在のホルヘ・ロレンゾと比較出来るだろうね。彼のスタイルはマルク・マルケスとは全くの正反対だよね。ヴァレンティーノは2人の中間くらいだけど、このスタイルこそ私が好きなライディングスタイルだ。
 
「ケニーがヨーロッパにやってきたのは1978年。私がレース活動を辞めた1年後だった。再び彼に会ったのは1983年。私がケニー・ロバーツ、エディー・ローソンのヤマハチームのマネージャーを務めた時だ。」

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サイクルワールド

最も手強かったライバルは誰でしょうか?

ジャコモ・アゴスチーニ

マイク・ヘイルウッドだね。彼は素晴らしい才能の持ち主だ。 彼は125、250、500ccクラスでレースを行い常に勝利していた。1番の思い出の1つは、彼とマン島で1967年にレースをしたことだね。自分がレースをリードしていだが、最終ラップでチェーンが切れてマイクが勝利したんだ。でもその晩のディナーにマイクが招待してくれてね。彼はその日は私が勝利していたという事を分かっていたんだ。マイク・ヘイルウッドにマン島で勝利できるなんてまたとない経験だから、素晴らしい日になったよ。
 

サイクルワールド

最高峰クラスの電子制御を無くすことについてどう思いますか?

ジャコモ・アゴスチーニ

若いライダーはNoと言うだろうけど、ヴァレンティーノは500ccの2ストロークで育っているからYesというだろうね。電子制御はライダーの才能の違いを制限してしまっていると思うね。
 

サイクルワールド

「現在のMotoGPを見て、誰が優勝すると思いますか?」

ジャコモ・アゴスチーニ

ヴァレンティーノはプロフェッショナルだね。レースごとに高まる緊張に対処する術を知っている。ポイント差を生み出す術、ホルヘとポイントを維持する術を分かっている。これは大きな違いだよ。レースでは多くのことが起きるけど、タイトル争いは最終戦までもつれるんじゃないかな。」
 

サイクルワールド

「ヴァレンティーノの強みと弱みは何でしょうか?」

ジャコモ・アゴスチーニ

「ヴァレンティーノは素晴らしいチャンピオンだとしか答えられないね。」
 

サイクルワールド

「ホルヘはどうでしょう?」

ジャコモ・アゴスチーニ

「彼もまた素晴らしいチャンピオンだ。精神的な面で言えば、彼のほうが少し脆く、感情的だと言えるね。」
 

サイクルワールド

「マルケスはどうでしょう?」

ジャコモ・アゴスチーニ

「彼はアグレッシブで勝利に飢えている。彼はいつもアタックするし。彼は若いから年齢的に考えても、不思議は無いんじゃないかな。」
 

サイクルワールド

「最後になりますが今までの歴史上で素晴らしいライダーは誰でしょうか?」

ジャコモ・アゴスチーニ

「難しいね。マイク・ヘイルウッド、ジョン・サーティース、タジオ・ヌヴォラーリなど、それぞれの時代にヒーローがいたね。私は総合で311勝、イタリアンチャンピオンシップを18回、GPで123勝、15回のワールドタイトルを獲得している。ヴァレンティーノは私に非常に近く、GPで112勝している。彼はおそらくこの記録を塗り替える事が出来るだろう。」
 
「誰もがナンバーワンになりたいものだし、もし彼が私の記録に並んだら嬉しくは無いだろうね。ただ自分の記録を越されるとしたら、ヴァレンティーノのような素晴らしいライダーに記録を越されるたいと思う。誰が最も素晴らしいか?誰が最も観客を喜ばせるか?それはロッシであって私ではない。私の時代は私だった。あと20年もすればまた違うだろうしね。」
 
「ただ、単純に記録だけを見るのであれば、自分のほうが獲得タイトル数は多いし、多く勝利している。だから、今の時点ではやはり私が最高かな(笑)」
By Maria Guidotti