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★過去の変態プロトタイプGPマシン TOP10

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海外のニュースも年の瀬モードのまとめ記事が増えてきましたが、今までに存在した変わったプロトタイプマシンを紹介する記事がありました。勉強になりますなぁ。

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プロトタイプでのレースというのは最もクレイジーで野望的なアイディアのるつぼだと言える。すべてのインスピレーションを含んだコンセプトは、多くの失敗作や上手く行かなかった向こうみずなアイディアなども含んでいるし、トラック上で成功したとしても、その時代には早すぎたコンセプトのものであったりもした。最高峰クラスであるGP500とMotoGPの中で生まれた、風変わりな10台を紹介する。

 

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10位 Blata V6

2002年に4ストロークエンジンでの開催となったMotoGPを覚えているだろうか?その移行期の前には、どのレイアウトが最適なのかという数多くの憶測を呼び、ホンダは恐ろしくパワフルなV6エンジンのマシンの開発などを考えていたようだが現実とはならなかった。実際最高峰クラスでは5気筒以上のエンジンレイアウトのマシンは生まれていなかったが、2005年にBlataからV6エンジンを搭載したマシンが参戦する寸前までいったのだった。チェコ共和国のマイナーなメーカーは2005年シーズンにこのV6マシンで参戦するかと思われたが、結局はマシン開発が間に合わずに終わった。

 

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9位 Aprilia RS Cube
V型5気筒エンジンを搭載するホンダのRC211Vが圧倒的な戦力を誇っていた中、アプリリアは、同じく奇数レイアウトの3気筒のRS Cubeに着手していた。アプリリアはF1のV10エンジンを参考に、その当時のどのライバルよりも先進的な技術で開発を進めており、非常に期待されていた一台であった。


ホンダの5気筒エンジンが4気筒エンジンと同様に145kgというレギュレーションで作られていたのに対し、3気筒エンジンは2気筒エンジンと同じ135kgという重量制限であった。当時のこの3気筒エンジンはF1からの技術により、この時代にニューマチックバルブを搭載し、グリッド上で最もパワフルな約240馬力を発生していた。

ただ、この240馬力をコントロールするためにフライ・バイ・ワイヤシステムとトラクションコントロールに頼らざるを得ない設計となっていたが、当時の電子制御はまだ未熟で、RS Cubeは乗りこなすのが非常に難しいじゃじゃ馬だった。この後の時代のバイクはGPマシンから市販車まで、余りあるパワーを電子制御でコントロールしていったのに対し、2002年に登場したRS Cubeはこうした電子制御技術に恵まれず、2004年にプロジェクトは終了した。

 

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8位 Aprilia RSW2
4ストロークマシンによる戦いとなる前の2002年以前に、アプリリアが開発していたマシンに1994年のRSW2がある。通常こうした選手権の中でレギュレーションに定められた排気量以下のマシンで参戦するのは、ガンファイトにナイフで立ち向かうようなものだが、アプリリアがしていたのはまさにそういう戦いだ。

RSW2はGP500のマシンでありながら、排気量は410ccしかないマシンだった。当時、予選タイムは250ccクラスのほうが500ccマシンよりも速いということが往々にしてあり、アプリリアが考えていたのはまさにこれにあたる。

 

アプリリアの熟練エンジニアJan Witteveenが考えていたのは500ccクラスの2気筒の最低重量105kgを活かすということで、4気筒マシンの130kgに比べて大幅に軽いマシンは、単純に250ccマシンのボアを拡大して410ccにしたエンジンを搭載していた。ホンダの2気筒マシンのNSR500Vも同様のコンセプトの元に生まれたマシンと言える。

ただ不幸なことに、レースでは4気筒マシンがストレートで2気筒マシンを抜き、コーナーでブロックする展開が多く、2気筒のメリットは奪われていった。後年、RSW2は430cc、460ccと排気量を上げ、最終的に498ccとなった。しかし、その時代を席巻していた4気筒の時代が変わることはなかった。

 

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7位 Proton KR5
ケニー・ロバーツを時代が読めないと攻めることは誰にも出来まい。多くのライバルが2002年に向けて4ストロークマシンの開発を進める中、彼はKR3と呼ばれる3気筒2ストロークマシンの開発から抜けだせずにいた。実際にこのマシンはパワフルなライバル達を相手にトップ10フィニッシュを何度も経験していた。しかしホンダの5気筒エンジンを搭載するRC211Vが圧倒的な性能を発揮するのに時間はかからず、ロバーツに2003年に4ストローク5気筒マシンの開発を着手させるに至った。

 

残念ながらレースで勝利出来る5気筒エンジンをつくり上げるのは簡単に出来ることでは無く、KR5は先代のKR3を超える戦績を上げることは遂にできなかった。結局このマシンのエンジンはKTMのV4エンジンに変更され目立った戦績を上げることは無かった。後年ホンダからV5エンジンの提供を受け生まれ変わったKR211Vは、990cc時代最後の年に2度の表彰台を獲得した。

 

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6位 Elf 2
最も風変わりな10台を語るにあたり、ホンダエンジンを搭載した1980年代中盤に登場したElfのマシン抜きには語れまい。Elfはフォークという機構はフロントホイールを保持するのには最適な方法とは言えないという結論に達したようだ。ここで取り上げたElf-2は、ホンダのRS500の3気筒エンジンを搭載している。ロン・ハスラムはElf-4で1987年のチャンピオンシップで4位という成績を残している。

 

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5位 Kawasaki KR500
近年Ducatiはデスモセディチにおいてカーボンをフレームの材料にするという試みをしたりしており、フレームの無いデザインはパニガーレのモノコック構造として受け継がれている。しかしカワサキのKR500は、1980年台初頭にさらに明確にこのアイディアを実践していた。このバイクのアルミニウム製の燃料タンクは、ステアリングヘッドとスイングアームピボットと溶接されており、フレームレスの構造となっていた。1982年からはこのアイディアから離れ、アルミニウム製バックボーンフレームのシャーシと、取り外し可能な燃料タンクが採用された。

 

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4位 1979 Honda NR500
ホンダは常にアイディアに満ち溢れたメーカーであった。1979年にNR500というバイクが生まれ、このバイクには、オーバルピストンの4ストロークV4エンジンが搭載されていた。1気筒あたり、8バルブ、2本のコンロッドを持ち、レブリミットは20,000回転近いというものだった。当然2気筒であれば、どれだけ開発が容易であったか想像にかたくないが、ホンダは4ストロークこそが未来であると証明したかったのだ。ただ、ホンダにとってはクレイジーなエンジンだけでは物足りなかったようで、このバイクはさらにモノコックフレームを採用し、フェアリング下部はマシン構造の一部となっており、サイドマウントのラジエーター、直立したウインドスクリーンなど、革新的なエアロダイナミクスとなっている。

しかし、こうした作りは勝利には結びつかず、4ストロークの代わりに2ストローク500ccマシンを1982年に登場させるまで、選手権のトップに返り咲くことは無かった。

 

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3位 1984 NSR500
ホンダのNSR500は、ホンダのGPシーンにおける独占的な勝利を象徴するマシンだ。しかし、最初にこのバイクがデビューした時はそこまで素晴らしいマシンとは言えないものだった。1984年のNSRは、優勝マシンNS500に変わって投入された。燃料タンクはエンジンの下にあり、エキゾーストがダミータンクカバーの下を通るという作りだった。

このアイディアは燃料タンクが下部にあることで、燃料タンクが空に近づいてきてもバイクのハンドリングに大きな影響を与えないというものだったが、残念ながらこのアイディアはまあり上手く働かず、1984年にフレディ・スペンサーが勝利した時、彼は前のモデルの3気筒マシンを好み、結局1984年の勝利をすべて前身モデルであるNS500で飾った。

 

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2位 Honda RC211V
このリストの中にあるバイク達がほとんど何らかの不備を備えているにも関わらず、このRC211Vはレースの歴史における傑作機と言える。2002年に4ストロークマシンによる参戦という体制に移行するにあたり、FIMはホンダが何かしら新しい試みをしてくるとみて、楕円ピストンなどいくつかの革新的な技術をレギュレーションで使用禁止とした。

 

噂ではホンダはV6エンジンを採用すると言われており、ホンダがV5エンジンのマシンで登場した時に、世界はその性能はいかほどのものかと想像した。5気筒エンジンのバランスを取るということは非常に困難であるため、このホンダのV5エンジンについては数多くの憶測を呼んだ。例えば後ろ側の2気筒は、前の3気筒とはボアとストロークが異なるというものや、パワーをより綺麗に生み出すために爆発間隔を綿密に調整しているというものなどだ。今になってみても、この5気筒エンジンの秘密全てが明らかにはされていない。このマシンについては、エンジンのマスの集中を重視したもの、エアロダイナミクスの観点から修正を加えたものなど、いくつかのバリエーションが存在する。

画期的なアイディアをこれほどまでに上手くバランスさせたマシンは他にないだろう。

 

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1位 1983 Honda NR500
このリストはレースには参戦しなかった車両から始まったが、最後の一台も同じだ。NR500は既に述べているが、それは1979年型だ。この1983年型はレースには出走していない。ホンダにとって1983年は記念すべき年で、2ストロークマシンでのフル参戦となった年でもあり、1960年以来のワールドタイトルを獲得した年でもある。

 

しかしこの年の東京モーターショーにおいて、ホンダは1983年に開発を進めていた4ストロークマシンを発表した。そしてそのマシンは奇想天外なものだった。エンジンは相変わらずオーバルピストンを採用した奇妙な作りをしていたが、この年のマシンはチタンとマグネシウムをふんだんに使用していた。フレームはカーボンファイバー製で、スイングアーム、ホイール、そしてフォークチューブも同様にカーボンファイバー製であった。そしてもちろんブレーキも。このバイクが出走したとしたら競争力があったかというと、恐らくそうでは無かっただろうが、ここまで近代的な技術をありったけ盛り込んだバイクも無いと言えるだろう。


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