Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

気になるバイクニュース。

世界のバイクニュース、MotoGP最新情報、各メーカーの新車情報などを紹介しているブログメディアです。

★ブリッテンV1000 バイクの歴史を変えた1台

Britten

Sponsored Link

先日、ブリッテンV1000が2月に再びニュージーランドのサーキットを走るという内容のニュースをお届けしました。特に興味の無い方からすると、「90年台に作られたレーサーがサーキットを再び走るのか。ふーん。」くらいの内容かもしれません。

が、管理人が個人的に好きなバイクであるということと、ジョン・ブリッテンという一人の天才エンジニアが手作りで作ったバイクが、ファクトリーバイクをものともせずに国際レースで勝利を重ねた。という今の時代からすると考えられないような歴史的なバイクでありますので、改めてご紹介します。

f:id:teletele916:20150127011755p:plain

情報は色々とネット上にも散らばっておりますが、簡潔にわかりやすいのは、収録時間1時間以上に渡る「One Man's Dream」というドキュメンタリー映像です。そこにはV1000の制作課程だけでなくジョンさん自身がどのようなエンジニアであったかなども収められています。彼の生い立ちに関してはwikiなどにも詳しいですが、リサイクル材料で自宅を12年かけて作り上げたなどの驚きのエピソード、実際の製作風景等の詳しい解説はドキュメンタリーを見て頂くほうがわかりやすいかと思います。

 彼は幼少期から機械いじりが大好きだったようで、最初は古いトライアンフを修理したりしていたようです。オーストラリアにはBEARS (BEARS Australia Motorcycle Racing Club)というレーシングクラブがあるんですが、ジョンとその仲間はこのクラブの初期のコアメンバーとなっていきます。


このクラブはそもそもはニュージランドのクライストチャーチ(ジョンの出身地)で始まったレーシングクラブで、当時のレースシーンではレースクラスが無かったトライアンフ、BSA、Nortonの熱狂的な支持者、レーサー達によって結成されていきます。BEARS (British, European, American Racing)という名前からもわかるように、日本車に対してライバル意識を持って始まったようです。

 

最初のレースミーティングは1983年にニュージーランドのクライストチャーチ郊外にあるRuapuna Speedwayにて開催されました。このクラブの設立の背景にはクライストチャーチのChristchurch Motorcycles、Classic Linesという2つのバイクショップが携わっていました。クラブは順調に成長し、ニュージーランド内の日本人以外のレーサーの関心を集めていきます。そしてNorthern BEAR's、Central BEAR'sという2つのクラブが新たに生まれます。このクラブにまたがるレースイベントとしてNorthern Sound of Thunder、Central Sound of Thunderが開催され、クライストチャーチのRuapuna Speedwayで2月最終週に開催されるSound of Thunderと合わせて、レースシーンは拡大していきました。

 

この時代のレーサ達ーはDucati TT2、Weslake、Denco、BMWなどでレースをしていました。そして、この中にジョン・ブリッテンも含まれており後のオリジナルマシン開発に繋がっていきます。当時最も強力だったエンジンはDucatiのベベルドライブ(ベベルギアによってカムシャフトを動かす機構)の860ccVツインエンジンでした。ジョンと友人のマイク・ブロスナンは、もっと現代的なバイクを作ろうということで彼らのオリジナルマシンであるAero-D-Zeroを1985年に完成させます。

Aero-D-Zero

f:id:teletele916:20150127003634p:plain

DucatiのVツインエンジンを囲う形でデザインされたチューブラスティール・スペースフレームは、24度という鋭角なステアリングヘッド角度を持っていました。フレームのデザインと製作はブロスナン、ジョンがスイングアームを製作。リアサスペンションは、当時は車のレース界で名を馳せていたKoniを車体下に吊り下げる形で搭載。フロントフォークはCerianis(チェリアーニ)を搭載。ブレーキはブレンボのマスターシリンダーに、APロッキードのキャリパーを装備し、リアはFontanaのキャリパーという構成でした。

 

ジョンがデザインしたカウルはカーボンファイバーケプラー製で、カウルがフロントホイールの上までかかる特徴的なデザイン。当初は燈火類を装着するロードバイクとして設計されていたようですが、すぐにレーサーとしての方向性で設計されます。特徴的なボディは風洞実験等をしていないにもかかわらず優れた空力特性を発揮し、1987年には234.02km/hを記録。ブロンソンのライディングで1988年と1990年のスピードトライアルイベントで優勝。この時は242.72km/h、247.80km/hをマークしています。その後このバイクは1990年に引退しています。

Aero-D-One

f:id:teletele916:20150127003833p:plain

Aero-D-Zeroの後継機で、モノコックタイプのフレーム、カウルを採用しています。サスペンションはホワイトパワー、ブレーキはAPのキャリパー、マーヴィックのマグネシウムホイールを使用。当初はDucatiのエンジンを8バルブに改造して搭載する計画でしたが、ジョンは地元ニュージーランドのDencoが8バルブ4カムの60度Vツインエンジン(燃料はメタノール)をサイドカー用のレースエンジンとして開発していることを聞きつけます。ジョンはこのエンジンを改造して使用することにし、ヤマハのXJ650から5速ミッションを、マグネトーイグニッションをなんとチェーンソーから流用。完成したマシンは130kgの重量で120馬力を発生するというものでした。

f:id:teletele916:20150127003941p:plain

1987年にはジョンを手伝ってくれるチームがあり、その中には元ヤマハのGPエンジニアのマイク・シンクレア、ワールドスーパーバイクのチャンピオン、ゲイリー・グッドフェローがいました。ゲイリー・グッドフェローは Aero-D-Oneで いくつかの素晴らしい結果を残しましたが、1988年にエンジンのピストンピン破断によってこのマシンは引退しています。その頃、ジョンはデイトナのBOTT(Battle Of The Twin)の人気を知り、次の目標として定めていましたが、それには完全に新しいバイクが必要でした。ちなみに同時期に彼の父親の成功した不動産ビジネスを引き継いでいます。

Britten V1000 1989-1991

f:id:teletele916:20150127010128p:plain

最初のブリッテンV1000のエンジンはジョンの設計によるベルトドライブの4カム60度V型2気筒の水冷999ccエンジン。このエンジンはジョンと仲間によって組み立てられた当時最も強力なV型2気筒エンジンでした。カウルはAero-D-Oneのバリエーションの一つでしたが、フロントホイール上の大きな張り出しはなくなりラジエターに積極的に風を当てるデザインとなっていました。エンジンはストレスメンバーとして機能し、多くの主要パーツがそこからぶら下がる形式で搭載されました。サスペンションはホワイトパワー製の倒立フォーク。リヤサスペンションはフロントホイールの後ろに、エキゾーストやエンジンの熱を避けて搭載されました。このバイクは1989年のBEARSのSound of Thunder ミーティングの直前に完成しています。

 

その年のデイトナBOTTではグッドフェローが操縦し、ファクトリー体制で参戦していたDucatiをストレートで簡単に抜き去ります。しかし、その後イグニッションが故障し無念のリタイア。その後ジョンはクライストチャーチに戻りBritten Motorcyclesを設立し、2台目となるBritten V1000を製作。1990年には2台のBritten V1000がデイトナに出場。ライダーはグッドフェローとロバート・ホールデンで、2人は3位と5位でフニッシュします。1991年にはスティーブ・クリビエ、ポール・ルイスがデイトナBOTTに出場。ルイスがDucatiのエース、ダグ・ポーレンに次いで2位でフィニッシュしています。

Britten V1000 92-

f:id:teletele916:20150127010213p:plain

ジョンは既存のV1000を仕上げるという安全策ではなく、また1から新しいバイクの製作を開始。この時は製作の全工程を自宅ガレージで行います。実際の作業風景はドキュメンタリー映像を見ていただくのが一番ですが、カウルに関してはワイヤーをホットボンドで固めてカウルのデザインを製作、そしてそれをベースにしてクレイモデルを製作。そしてクレイモデルを切り出しその上にファイバーを重ねてボディーの型を作り、カーボンファイバーを貼ってカウルを整形するというもの。カーボン製の自作ホイール、ダブルウィッシュボーンのフロントサスペンションのガーター部分、スイングアームなど多くのパーツをカーボンで製作しています。


Britten: Backyard Visionary - Television | NZ On Screen

 

f:id:teletele916:20150127011133p:plainf:id:teletele916:20150127010837p:plain

驚くべきはその空力特性で、この時代のバイクにしてカウル、そしてボディが産みだすダウンフォースを考えて設計されています。このあたりは別のドキュメンタリーに詳しいです。このカウル内部の空気の流れを利用するシート下にラジエーターがあるという当時としては信じられないような構成でした。ハーフカウルと言えるデザインながらそのスピードは圧倒的で、1992年にデビューしたマシンはデイトナで最も速いバイクであり、マン島TTにおいてもホンダのRVFよりも早いマシンでした。

 

f:id:teletele916:20150127011145p:plain

ダッシュボードもカーボン製でメーターが配置されており、さらにフロントのプリロードアジャスターが顔をのぞかせており、90年台初頭にこうした機能を実現していたことになります。オーリンズ製のリヤショックはフロントホイールの後ろで、エキゾーストやエンジンからの熱を避ける位置に配置されスイングアームにはカーボンファイバーのアームにて接続されていました。

 

f:id:teletele916:20150127011149p:plain

最近のバイクになってようやく実現されたエンジンを強度メンバーとした車体構成で、この時代にデータ・ロギングシステムを搭載。シートカウルの中には冷却水のキャッチタンクがあり、部屋を分ける事でオーバーフローボウルとしても機能。トップブリッジはマスター・シリンダーが内部に取り付けられていて、同時にハンドルも保持するデザイン。非常に複雑な形状のエキゾーストは紙にデザインを書くところから始まり、製作には60時間かかっているそうです。

 

f:id:teletele916:20150127011719p:plain

ドキュメンタリー映像に関しての見どころは、まさに手作りというプロセスで組み上げられていくバイクそのもので、エンジンも当然手作りで鋳型を作る所から始まり、鋳造したパーツを段階的に温度を下げていく設備の不足から空の塗料缶のようなものにパーツを入れてバケツで水をかけて、途中で足りなくなって水を汲みに走る(笑)なんていうシーンも収められています。また完成後のテスト走行では軽さを求めるあまり強度不足からフロントのガーターが折れて転倒。なんていうシーンも収めれらています。それにしても完成時のパーツ点数はおよそ67,000点とも言われており、タイヤ、サスペンション、ブレーキ、ギアボックス等以外は手作りという気の遠くなるようなバイクであります。

 

f:id:teletele916:20150127012430p:plain

ちなみに92年のデイトナBOTTでは練習走行で冷却水が漏れるトラブルであわや予選に出場出来ずという状況の中、応急処置でかろうじて予選に出走。しかし予選後にシリンダースリーブにクラックが見つかり、デイトナ中のパーツ屋に連絡をするも同様のタイプのものはなく、(自作エンジンですし。。)夜通しでシリンダースリーブを溶接して治すという荒療治に。結局BOTTの為にアメリカに到着してからまったく休む暇なく47時間働き通しの中、朝の7:30。レースまで4時間を切った時に修理が完了したのでした。その後のレースではファクトリーDucatiに次いで2位まで順位を上げます。ファクトリーDucatiにストレートでウイリーしながら追いつく姿は見るものに衝撃を与えました。その後雨で一旦レースは中止。再スタート時にはフロントローから一気にトップへ。しかしその後バッテリーのコイル故障で無念のリタイア。ジョンが手作りしなかった数少ないパーツの1つでした。

生産台数はわずかに10台で、現在は世界中のコレクターが所有しており、数台は博物館に収蔵されています。Britten Motorcycleのホームページにはこれらのバイクを誰が私有しどこにあるか記載がありましたが、今のご時世大丈夫なんでしょうか。。

 

1998年 ブリッテンV1000主要諸元

エンジン:水冷4ストローク999cc60度V型2気筒4カム
1気筒あたり4バルブ/ベルトドライブ
チタン製コンロッド
チタン製40mm吸気バルブ
チタン製33mm排気バルブ
圧縮比:11.3:1
ボアxストローク:98.9mmx65mm
※エンジンを車体のストレスメンバーとして使用

ミッション:乾式クラッチ5速ミッション
フューエルインジェクション:1気筒あたり2インジェクター
※燃調のプログラミングが可能

トップシャーシのガータ、スイングアームはカーボンケブラー製
ショックアブソーバー:オーリンズ製
フロントホイール:カーボン製 3.5 x 17inch
リヤホイール:カーボン製6.0 x 17inch
フロントブレーキ:320mm鋳鉄製ダブルディスク ブレンボ製対向4ポッドキャリパー
リヤブレーキ:210mm ブレンボ製キャリパー
ホイールベー:1420mm
車重:138kg
燃料タンク容量:24L
最大馬力:166馬力/11,800回転
最高回転数:12,500回転
最高速速度:303 km/h

 

マン島〜ジョンの死

マン島TTでの取り組みは1993年にショーン・ハリス、1994年にはTTトップライダーのニック・ジェフェリスとマーク・ファーマーを含む三台体制で挑みます。しかしファーマーがマン島のBlack Dubでのハイサイドにより事故死。チームは悲しみに包まれます。その後アンドリュー・ストラウドがBEARSのワールドタイトルを獲得するも、その直後の1995年にジョンも癌で亡くなります。


ジョンの亡き後も、パワフルなエンジンと軽量な車体の組み合わせを誇るブリッテンV1000はレースで勝利を重ねます。数々の勝利を支えたのはやはり圧倒的なスピードで、デイトナ2000で記録した304km/hは他のどのファクトリーマシンより速く、1993年のマン島TTでは265.5km/hの最高速度を記録。またFIMの公式記録としてニュージーランドの公道で 304.159kmを記録。参考までにこの年にロリス・カピロッシがイタリアのオーバルコースでホンダのNR750で記録した記録が304.032kmでした。

 

f:id:teletele916:20150127003044p:plain

ブリッテンV1000はBOTTやBEARSにおいて当初は注目度の低いバイクでしたが、すぐにそのクラスに収まりきらないほどのポテンシャルを発揮するようになりました。
当時のスーパーバイク、GPシーンの出場規定を満たしていたマシンではありませんでしたが、わずか3年にして世界的に有名になり、世界中のバイクメーカーにデザインと技術的な側面において大きなインスピレーションを与えた歴史的なマシンでした。

 

(※テストの様子〜空力の説明など)

(※Top Gear かいつまんだ歴史の解説)

(※MCNの詳細な解説&走行映像。)

(※2013年のクラシックTTでの車載動画)

(※エンジン始動〜発進)


Britten Motorcycle Company


Britten V1000 motorcycle | Motorcycle Trader New Zealand